『イクサガミ』を見ていて、
ある一幕が妙に印象に残りました。
登場人物たちが緊張した場面で立っているだけなのに、
誰一人として
だらっとしていない。
胸を張りすぎてもいない。
それなのに、異様な安定感がある。
「あ、これ姿勢だな」と思いました。
武士の姿勢は“気合”じゃない
よく
「武士は精神が鍛えられていたから姿勢がいい」
と言われますが、私は違うと思っています。
あの立ち姿は
意識して作っている姿勢ではない。
『イクサガミ』の中でも、
彼らは姿勢を正そうとはしていません。
それでも自然と整って見える。
理由はシンプルで、
そう立たないと不安定で仕方がなかったから。
距骨の上に立たなければ、生きられなかった
武士の生活環境を考えると、
- 草履
- 不整地
- 常に刀を差した左右非対称の身体
- いつ動くかわからない緊張状態
この条件下で
かかとに体重を乗せたり、
前に突っ込むように立ったりすると、
一瞬でバランスを崩します。
だから自然と
距骨の真上に重心を落とす立ち方になる。
距骨の上に体が乗ると、
- 骨盤が立つ
- 背骨が無理なく伸びる
- 頭が体の上に乗る
結果として
「姿勢がいい人」に見える。
『イクサガミ』のあの一幕の立ち姿は、
まさにこれでした。
姿勢=礼儀ではなく、生存戦略
現代では
「姿勢を良くしなさい」と言われますが、
武士にとって姿勢はマナーではありません。
- 姿勢が崩れる=隙
- 隙=死
だから
姿勢を正す意識すら必要なかった。
距骨が安定していない状態では、
そもそも立っていられなかった。
『イクサガミ』で漂うあの緊張感は、
精神論ではなく
足元のリアリティが作っているように感じました。
現代人との決定的な違い
現代人は
- 靴に守られ
- 平らな床に慣れ
- 緊張感なく立つ
その結果、
距骨の上に立つ感覚を失い、
姿勢だけを「形」で直そうとする。
でも本来、姿勢は
距骨が整えば勝手に変わるもの。
まとめ
武士の姿勢が良かったのは、
修行や気合の成果ではない。距骨の上に立たなければ、生き残れなかったからだ。
『イクサガミ』の一幕がリアルに感じるのは、
こうした身体の真実を
きちんと踏んでいるからかもしれません





