日本の医療が高度に標準化されている証拠です
外反母趾と診断されたとき、
多くの病院で提示される選択肢は大きく2つです。
- インソール(足底板)の処方
- 手術(オペ)の検討
この流れは、全国どこでもほぼ同じです。
逆に言えば、
日本全国でインソールも手術も受けられる。
これは、日本の医療が非常に高度に標準化されている証拠でもあります。
どこに住んでいても、
一定レベルの診断が受けられる。
一定基準の治療方針が提示される。
命や安全に関わる判断に、
地域差や属人差が出にくい。
これは世界的に見ても、
日本の医療の大きな強みです。
標準化されているからこそ、生まれる「空白」
ただし、
医療が高度に標準化されているからこそ、
どうしても扱いにくくなる領域があります。
それは、
- 画像に写りにくい
- 数値化しづらい
- 個人差が大きい
こうした部分です。
外反母趾で言えば、
骨の角度や変形の程度は測れます。
診断名も、治療方針も明確になります。
一方で、
- どう立っているか
- どう歩いているか
- どこに体重が乗っているか
こうした要素は、
全国共通の基準で一律に扱うことが難しい。
その結果、
病院で責任を持って提供できる選択肢は、
インソールか、手術か
という形に集約されていきます。
これは
医師が冷たいからでも、
考えていないからでもありません。
医療として、とても合理的な判断です。
インソールでも、手術でもない「中間層」
しかし、臨床をしていると、
明らかに存在する層があります。
- インソールは使っている
- でも違和感や痛みが残っている
- 手術を選ぶほどではない、選びたくない
この
インソールと手術の間にいる人たち。
実際、距骨サロンに来られる方の多くは、
まさにこの層です。
ここで大事なのは、
この人たちは
病院を否定して来ているわけではない
ということです。
- 危険な病気ではないと分かって安心した
- でも、日常はまだつらい
- だから「次」を探している
その「次」として、
距骨サロンを選んでいるだけです。
標準化できない価値を扱う場所
距骨サロンが見ているのは、
診断名そのものではありません。
- 足がどう荷重しているか
- 足首(距骨)が安定しているか
- 歩くたびに、どこに負担が集中しているか
こうした
**一人ひとり違う“使われ方”**です。
ここは、
全国共通のルールでは扱いにくい。
だからこそ、
医療の外側に残されてきた領域でもあります。
距骨サロンは、
医療の代わりではありません。
医療を否定する場所でもありません。
高度に標準化された医療があるからこそ、
その隙間を丁寧に見る場所。
それが、
今、距骨サロンに中間層の人たちが
集まってきている理由です。
医療の強さと、現場の役割は両立する
- 危険な病気を除外する
- 手術や投薬が必要かを判断する
これは病院の役割です。
その上で、
「異常はないけれど、快適ではない」
「治療は終わったけれど、困っている」
そうした人たちを、
現場で一人ずつ見ていく。
日本の医療が高度であることと、
距骨サロンの存在価値は、
矛盾しません。
むしろ、
高度な医療があるからこそ、
距骨サロンという選択肢が成立している。
そう感じています。





