あの大震災から今日で5年になります。
この5年の間でもブログに取り上げています。
震災から2年
https://unahone.com/earthquake-from-two-years/
あの震災から3年・・・
https://unahone.com/earthquake/
5年前のあの日、何をしていたのか?
僕はあの日、金曜日だったので当然仕事していました。
(当時は雇われ院長)
午後の診療前、往診先で地震に遭いました。
窓から見える電線がありえなくらい揺れていたのと
『ゴーーーー』という地鳴りみたいな
音が今でも耳から離れません。
ほぼ立っていられなかったと思います。
往診先は近かったのですが踏切を越えないと
いけなかったのでなかなか帰れませんでした。
(その日は結局地下鉄以外電車は動かず)
その日は晴れていたけど、少しヒンヤリした陽気だったと
思います。午前中忙しく働いていたのを覚えていますが
地震後の午後の診療はさすがに誰も来ませんでした。
今でもはっきりと覚えています。
開業も1年見送りました
当時そろそろ開業かなとも思っていた時期です。
しかしこういうときに辞めて動くのも何だかひっかかったので
1年見送りました。
結果的にそれが神楽坂との出会いにつながったので
良かったと今は思いますが・・・。
何かできることはないかとあんまり思い詰めない方が良い
東京に住んでいれば身内でもいない限り当事者とはなりえません。
5年経った現在の被災地がどうなっているのかは割愛しますが
なにかしたいという思いがある方は多いとは思います。
もうすでにしているという方もいらっしゃると
おもいますが僕はこう考えました。
微力ながら雇用を生み出す
これを考えたのはもちろんウナギ整骨院開業後の話ですが
当時、福島県の高校で教鞭をとる後輩に連絡を取ったりして
就職状況を聞いて真剣に被災地で
柔道整復師になりたい人がいたら東京で面倒見る
ということを考えていました。
東京に来るということは住むところから面倒を見るということなので
そこは腹をくくり不動産屋に相談して求人を待ちました。
結果的に採用ということはなかったのですが
今またその話を再度考えてみようかと思っています。
現在の被災地の雇用状況はどうなっているのかわかりませんが
話を聞いてみようと言う気持ちになっています。
僕の開業後の1つのミッションでもある
『技術者を育てる』こと
これは一貫していますのでこの機会に雇用を考えてみようと
思います。
労働条件等はこちら
技術者を育てるに当たって院長の思い
治療業界を志すあなたへ
https://unahone.com/category/fresher/
気軽な相談等も受けつけますので
SNS絡みでもメールアドレス(info@unahone.net)でも
構いません。相談も気軽にしてください。
【おっと!もうひとつ】
電車の中吊り広告に
『ヒザの位置を高く見せるストッキング』
という広告がありましたが
矯正でそこはなんとかなるのにな〜とぼんやり。
仕事が終わっても仕事しています。
【今日の体重】
75.4㌔